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あれば、あればで。 [自転車]

最近、またブログを書き始めた。

おじさん、ずっとテレワークで朝晩、時間を持て余すようになりました。
7月まではほぼ毎朝MTBで朝練していました。
毎日MTBに乗れるという事は幸せにも感じますが、
その分、週末のMTBの楽しみを削ぐ事もあります。
週末になると「昨日の朝も乗ったし。別に月曜日の朝でも乗れるしいいじゃん」ってなります。
なんとも勝手なものです。

夜も仕事が18時に終わって、そこから自由な時間です。
飯食って、風呂入っても19時です。
おまけに翌朝6時に起きる必要もないんです。9時始業なので、15分前に起きればいいんです。
朝練している頃は6時に起きてましたが。

時間があると普段考えない事を色々考えてしまいます。
あれはどうだ、これはどうだ。あれもできるだろう、これはテレワークの内にやっておかないと。
こんな暇でいいのか?

そして色々な事に手を広げる、その分、うまくいかない事、新しい失敗、苦悩に出会うのです。
その中でこれまでの自分を否定する事も頭をよぎったりします。
そして夜はついつい深酒に。。。

世界から隔離されたけど、問題だけが増えたような状況に陥ってしまいました。
仕事中に同僚とは音声通話で繋がりますが、こんな事は会話しませんからね。

普段出社している時であれば
「あの人、ちょっと顔色悪くない?」「言動ヤバくない?」という風に思われるのかもしれませんん。でも顔合わせないとそんな事伝わりませんとね。
これも「コロナ鬱」というものなのか。。。

これではいかんなぁ、と思いながらもチューハイ飲んでます。
先週とかはモヤモヤが酷くて「半沢直樹」の内容が入ってこないほどでした。
大和田さんは好きなので、ついつい見入ってしまいますが。

という訳で自分も大変ですが、なるべく同僚とはリラックスした会話の場を設けるようにしています。
みんな話始めると結構雑談したがるんですよね。
オンライン飲み会は大変そうなので、開催しないと思いますが・・・。

今、思い出したけど数年前に仕事で辛酸を嘗めさせられた人の名前も「大和田」だったな。
倍返ししてー。
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パキ [自転車]

この前、おじさんの若いころのパワハラ体験の事を書いた。

当時の出向先の社員の事。当時は嫌いだったし、怖かった。
でもね。今、少し会ってみたい気もしている。

この社員の方、私の以前も以後もパワハラを続け、ある日それが明るみに出て、
クビにはならなかったけど、配置転換されたらしい。
私の後も、辞めた人は何人かいたらしい。

そんな人だけど、バカな話をして笑ったり、一緒に飲みに行ったこともあった。
若い私の愚かな発言を笑って受け止めてくれた事もあったし。
私を守ってくれた事もあった。
この人にも自分の立場や考えがあったのだろう。
パワハラは肯定できる行為じゃないが、この人はある意味正直だったのだ。
陰湿な事をする事はなかった。ただストレートで、自分を守る事に必死だったのだ。
本当の考えを隠し、表面は穏便にふるまい、常識を纏って接してくる人間の方がよっぽど恐ろしい。

今は、そう思える。
その人は当時は独身だったけど、その後結婚されて家を建てられた、とも聞いた。
今後、会う事は多分ないだろうけど、もう一度お話してみたい方の一人です。
多分、お子さんもいるんだろうな。
今、50歳前かな。

この当時の私、若く愚かで自分勝手だったと思う。
若さでなんでもできる、将来の不安などみじんも感じておらず、空気を読んでいない発言も多かったと思う。

当時私の周りには35歳付近の人が多く、その方々に本当にお世話になり、色々な事を教わった。
当時はそれが当たり前と思っていた。

職場付近の駅から職場まで私を毎日送り迎えしてくれた方がいた。
辺鄙な所で、最寄りの駅から職場まで徒歩30分はかかったのだ。
仕事で遅くなり終電で帰れなかった日には自宅に泊めてくれた事もあった。
お母さんを亡くされて大変な時だったのに、電話で仕事のフォローもしてくれた。
その方には、当時色々な事を指導頂き、それが今日の私のスキルとなっている。

家が近所というだけで、職場まで私を車で送ってくれた方もいた。
職場まで2時間の電車移動が車だと1時間程度になるため、とても助かった。
この方には、大人として色々な事を教わった。
ある日、広島に転職された。
送別会に行って、ちゃんとご挨拶すべきだったと思う。

この方々の当時の年齢を私はいつの間にか超えてしまった。
今の私がこの方々を超えているとはとても思えない。
では、何が足りなくて、どうすればいいのか。それは自分で考えないといけない。
自分で埋め合わせるしかない。

話は変わるが、
この職場にいた当時。お昼ごはんは職場付近の食事処に食べに行っていた。
この職場を去る最後に日。いつも行っていた食事処のマスターにお礼を言った。
以来、この土地を訪れていないが、いつかはこの食事処でランチを食べたいと思っている。
思っているまま、この年齢になってしまったが、本当にそろそろ一度行ってみるか。。。

私に脳裏には上記の文章に登場した全ての方々の当時のお顔が浮かんでいます。
もちろん食事処のマスターも給仕係の方も。

私が去った後年の事、
当時の職場には、徒歩五分圏内に駅が出来たそうな。
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心の在り方 [自転車]

私は心が弱い。
どれくらい弱いかと言うと、「明日の分」と買っておいたビールを今日飲んでしまう位弱い。
そう、今明日のビールを飲んでいる。
明日のビールはあと一本残っているが、飲んでしまうかもしれない。

そんな私がずっと一番ビクビクしていたのは、「父が死んだらどうなるのか?」
「父の葬式を取り仕切れるのか?」
という事、喪主挨拶とかどうするんだ。そもそも葬式なんてどこに連絡すればいいんだ。

でも実際に父の葬式を迎え、そんな不安は意味が無かった事を知った。
正しく言えば、不安に思っている時間に対して、実際の「現場」の時間は僅かであり、
むしろ一瞬だった。
これは私が既に経験した過去だから言える事だけど。
まさにジェットコースターだった。乗るまでは不安だけど、走り出したらゴールまでは一瞬。

父が不慮の事故で入院し、帰らぬ人になる日まで、過ぎてしまえばあっと言う間だった。
その間ずっと不安だったが、それもやがて終わりを迎えた。そして今、私は生きている。
もちろん当時の私はわからない事ばかりで日々パニックだった。
でもそんな日々も始まれば、やがて終わりを迎える。
始まるまでは不安だが、始まってしまえばいつかは終わりがあるのだ。

実は、父は斎場の互助会に入ってくれていた。
要するにに生前から葬式費用を積み立てるシステムに入会していたのだ。
私は、父が入会している事を知っていたので、「その会」に電話すればよかった。
「その会」とは葬儀会社が運営している「会」だ。
電話すると、すぐに病院まで父の遺体を引き取りに来てくれた。
そして実家近くの葬儀場まで運んでくれた。
葬儀の段取りなどの打ち合わせはあるものの、後は葬儀場が全て取り計らってくれる。
父は、自分の葬儀まで私にレールを用意してくれていたのだ。

※ちなみに父の死後、父と同居していた叔母も亡くなり、同じ互助会のお世話になった。
叔母は1月2日の深夜に亡くなったが、電話すると「互助会」はすぐに病院まで遺体を引き取りに来てくれた。
叔母の入院していた病院は、霊安室がない病院で、
死後すぐに遺体の運び出しを求められた。
1月3日に日付が変わろう、という深夜なのに。
ビジネスではあると思うが、「互助会は入っておいた方が遺族が助かる」と強く思った。
実際私は助かった。

本当に書きたい事の前に前置きが長くなったので書きたかったことは次回にします。
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今週の希望 [自転車]

昨日から雨予報もあるがちっとも雨が降らない。
8月に入ってからまともな雨が降ってないと思う。

朝起きて少しだるかったので、今日はダラダラするかと思ったが、
「後から悔いのないように」と思いなおし。
少し二度寝はしたけど、いつもの山に向かった。

車中では「Bennie K」を聴きながら。
「Dreamland」と「サンライズ」「sky」はやっぱりいいね。
当時は「YUKIちゃんがどんどん綺麗になっていくなぁ」なんて思ってたな。
「oasis」もいいよね。私が行ったライブでは「スーパーoasis」と呼ばれる、
アレンジバージョンも聴いたなぁ。

いつもの山で越えれるようになったポイントは今日は一回止まってしまった。
このまま帰れば後悔になると思い、リトライして無事に超えられた。

でもリトライはあまりしない方がいいと思う。
おっかなびっくりになるので、勢いが出ない。
やっぱり一回目で一気に行くのが一番安全。
上の方は大分アブも減って、少し涼しかった。
とはいえ、まだ暑く一周が精いっぱい。
時間はかかったが押し上げ無しで登れたのは良かった。

「いつもの山でいつものように遊べる事」。
テレワークになり、自由な時間も増え、自転車に乗れる機会が増えたので、
忘れがちになっていたが、とても大事な事なのだ。

9月も暑い日が続く事が多いけど、
「夏山を感じるのも来週が最後か」とも感じた。
「来週もこの山に来ること」これが私の今週の希望です。
※台風来るかもだけど。

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