SSブログ

土地の境界 [父]

大人になると色々な事が起こるわけです。

二年前に父が亡くなり、昨年は叔母が亡くなった。
社会人になってからぼんやりとした不安だった、
介護、葬式といったものが、一気に訪れ終わっていった。

来るまでは不安だったが、来てしまえば良く分からないまま終わっていった。
もちろん、その最中は色々な事に苦慮し、取捨選択して判断していた。
父も、叔母もある日突然入院し、そのまま退院する事なくこの世を去った。
家族で大変な苦労をして自宅で介護する事もなく、
退院後に施設に入居して大きなお金がかかる事もなかった。
入院費と葬儀代はもちろんそれなりだったが、
世間一般で言われているほどの介護の苦労をかけないで逝ってくれた。

父、叔母の相続も特に揉めることなく、円満に終わった。
父、叔母の死を通して私、私の姉、その他の親族の関係はより良い関係になった。

父と叔母の死は悲しい事であり、今でも毎日思い出すが、
私の人生をいい方向に一歩押し出してくれた。

しかし、ここで一つ忘れていた事があった。
今になった「その事」が湧いて出てきた。

それは実家の土地について。
実家の土地については叔母名義だったのだが、
最後まで叔母と同居していた姉が相続した。
もちろん他の親戚も快く同意してくれた。

この土地について、若いころに父に言われていたことがあった。
それは、お隣さんと境界で揉めているという事だ。

本当にわずかな土地なのだが、父の代では折り合いがつかず、
以来お隣さんとは険悪になったそうな。
そのお隣さんも亡くなり、空き家になっていた。

ところが。。。
最近になって、お隣さんのご子息から連絡があったそうな。
「家を売りたいのですが、そのために境界線を明らかにする必要があるので、測量を行いたい。」
という事だった。

というわけで、今度直接お会いして話をする事になった。
面識はない。

急いで調べたけどこういう場合だいたいこんな流れらしい。
①測量する。
②その結果に対して燐家同士で合意し、公的な文書に残す。
おそらく文書には実印を押す。
③役所に登記を行う。
そして境界杭や策を設けて境界を可視できるようにする。

これが一番スムーズな流れ。
でも実際には、
「①測量結果に納得できない。」
「②測量結果に従うと、家屋や設備をまたいでしまう。(越境物)」
等の問題がある。

悲観的な性格なので、我が家に損な結果になる事を予想してしまう。

正直①については多少我が家の土地が減っても従うつもりだ。
実家の付近はそんな都会ではないので、大きな額ではないと思うし。
そこでゴネても仕方ないと思う。
ただ、②の場合は簡単にはいかない。
とはいえ、最後はウチで先方の土地を買うしかないのだろう。
この時、適切な価格で売ってくれればいいが。

そして、測量自体もタダではない。
数十万円はかかるそうな。
一般的には測量を申し出た方が負担するそうだが、
折半を相談されそうな気もする。

親の代で綺麗にしておいて欲しかったが、今からそれを言っても仕方がない。
不安な事だが早く円満に解決できるように進めていこう。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:住宅

叔母の葬儀2 [父]

叔母の訃報から明けて3日の日。
朝から葬儀屋から電話があった。

葬儀の打ち合わせの日程についてだ。
私がまだ地元にいる事を伝えると、葬儀屋としても4日からホールの人間が出勤するとの事で4日の打ち合わせとなった。

そして4日。
早朝から横浜に向かった。
登りの新幹線は昨日までのラッシュが嘘のようにもう混んでいなかった。
葬儀がいつになるかわからないが喪服は持って行った。
父の葬儀の時は葬儀まで5日かかった。
基本的に三が日は火葬場はやっていないらしい。
つまり三が日明けは火葬場が混む。

実家に戻り荷物を置いてホールに向かった。
父の葬儀でも御世話になったホールだ。
父が叔母と一緒にこの葬儀会社の会員になってくれていて本当に助かった。
おそらく父の計らいだったのだろう。

そして始まる葬儀の打ち合わせ。
父の時は葬儀屋の提案通りに進めた。
今回は事前に葬儀の内容を親族と決めていた。
・お通夜無しの1日葬
・菩提寺の住職は呼ばない
・家族葬
1日葬は敬遠されるかと思ったが葬儀屋はすんなり受け入れた。
菩提寺の住職を呼ばない事がどういう事になるかは理解している。だがいい。
葬儀の内容はこれで決まり。

後は日取り、やはり火葬場は混んでいたが翌日の5日の朝9時なら空いていた。
早朝だががそこに決めた。

火葬が翌日なのでエンバーミングも必要ない。
早朝の火葬なので待っている間の食事もない。
火葬場までは行きは霊柩車、帰りはタクシーにした。
葬儀費用は父の半分だった。
簡素な式で叔母に申し訳ない気持ちもあるが、金銭的な負担、親族の負担を考えるとこれで良かったと思う。

参列した親族も、自分の葬儀もこれでいい、と言っていた。

こんな感じで叔母の葬儀は滞りなく終わった。



nice!(1)  コメント(0) 

叔母の葬儀1 [父]

新年早々に叔母が亡くなりました。
私が喪主で葬儀を終えました。

叔母とは年に一回会う程度のお付き合いでした。
叔母は戦争で疎開を経験し、幼い兄妹を亡くした。
戦後も長女として、自分を犠牲にして残った兄妹の面倒をみていたそうです。
その兄妹が結婚して家を出ると、自分は結婚せず、祖父母の介護をし最後を看取った。
偉大な叔母でした。
ありがとう叔母さん。

喪主を務めるのはこれで二回目。
二回やっても慣れません。
同じような境遇になられた方の一助になればと、その顛末を記載します。

叔母は昨年末から入院していたのですが、1月2日の深夜に亡くなりました。
脳梗塞で入院して一月半で他界しました。
入院した時は会話も出来ていたのですが。
年末になり「そろそろ」か、という余丁はあったので心の準備は出来ていました。
正直、正月が終わってからにしてくれ、という勝手な気持ちはありました。
父に続き二回目の葬儀なので、特に困らないかと思っていましたが、いきなり困りました。
病院から、霊安室がないのですぐに遺体を搬送して欲しい、と言われたのです。
正月、しかもこんな深夜に葬儀屋は来てくれるのだろうか?
叔母が葬儀屋の会員に入っていたので、連絡先はわかっていた。
※これはとても助かる。
親族が亡くなってから、冷静に葬儀屋を選ぶ事はとても難しいだろうから。
それが決まっていれば遺族は電話するだけだ。
しかし葬儀屋の事務所に電話するも誰も出ない。留守番電話に切り替わり、緊急の電話番号を案内された。
今度はそこに電話、今度は繋がった。
状況を説明すると、1時間程度で迎えに来てくれる、との事。
助かった。
最初は病院の対応に無茶を感じたが、正月でも深夜でも葬儀屋は対応してくれるのだ。
ここまでのやり取り、実は私は自宅から電話で対応していた。
叔母は横浜で入院していて、
同居していた姉が当日も病院で対応してくれていた。
私は姉から電話で状況を聞いて、
自宅から葬儀屋に電話していたのだ。
父が亡くなった時も同じだった。
姉が病院で対応して、私は新幹線で実家に向かいながら葬儀屋に電話していた。
どちらの場合も現場にいたら慌てていて、葬儀屋の手配もままならなかったかもしれない。
実際、姉は大変だったと思う。
何にせよ、
明けて3日の午前1時に叔母はセレモニーホールに搬送された。
葬儀屋とは明朝から葬儀の打ち合わせをしましょう、と約束してこの日の対応は終わり。
葬儀の打ち合わせは対面しかありえない。
しかし3日はUターンのピークで新幹線は満席。。。。
悶々としながらもこの日は就寝。

nice!(0)  コメント(0) 

叔父の料理 [父]

最近、叔父の家に行きました。

叔父は料理が好きで、子供のころによく料理を振る舞ってもらいました。
大人になって疎遠になっていましたが、
父の事があり今年連絡を取るようになりました。

そんなある日、叔父が料理を食べさせてくれるという事で訪問。
叔母もまだまだ元気ですが、叔父は人に任せたくない性分のようで、
一人で料理を作ってくれました。

子供のころと変わらずおいしい料理でした。

叔父は、ここ数年は春から秋まで北海道を車で旅行している。
車中泊で、車で料理も作っているようだ。

そこで、叔父が開発したという一品を教えてもらった。
ドン。


こんな感じです。
20cm位の底の深いフライパンに野菜を入れて酒蒸しにした料理です。
味付けは調味料をちょっと使います。
野菜を食べないといけないという事で、肉類はいれず野菜ばかりを入れるそうです。
今回は手抜きしてスーパーで売っている、カレー用のカット野菜で作りましたが、
叔父は「かぼちゃ」や生姜を入れていました。
私も叔父に教わってから色々と野菜を試して調理しています。

最近、まともに味付けとかしていなかったんですが、
生姜を入れるとあんなにいい香りがする事を久しぶりに思い出しました。
あと、ごま油。ごま油を入れるとここまで味に深みが出るとは。。。
昔食べた、出前一丁もこんなかんじだったかな?
ごま油は少し高いのでこれまで敬遠していましたが、これからは手放せません。
イオンでお値打ちなもの打っているし。

お酒はこれを入れています。

月桂冠の月。
買いやすい値段なので、普段から熱燗にして飲んでいます。

美味しい料理を食べさせてくれた叔父に感謝。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

医療費還る [父]

最近になって夏に申請した父の医療費が帰って来た。

ややこしいが。
後期高齢者医療保険。
介護保険。
障害者認定。
の三段階で帰って来た。

後期高齢者の返還についてはいまだに謎。
後期高齢者保険は支払いが月の限度額を越えると病院の窓口でそれ以上払わないはずだからだ。
病院を移った事により、窓口が変わったので多く支払っていたのだろうか?

介護保険。
こちらも帰って来た。
こちらは父が入院してから入った。
これもどういった経緯で返還に至ったのか理解していない。父の存命中は認定を受けたものの利用する事はなかったが、入っておいて良かった。
父は要介護の重度5。一番重い認定結果だった。

介護申請は民生委員さんと、ケアマネさんに手伝ってもらった。
役所への提出代行もケアマネさんがやってくれた。

そして障害者認定。
障害者に認定されると医療費が免除になる。
認定前に払った額も遡って返還されるため、今回の返還となった。

障害者認定は父が最後に転院した病院の相談員さんが教えてくれた。
手続きもすべて進めてくれた。

医療費の返還手続きは区役所に申請した。
何が対象かわからないので、姉に全ての明細を預け区役所で判断をお願いした。
すぐに区役所から電話があり、万事うまく進めてくれた。

父は手術をしたものの、意識がもどらず半月位ICUにいた。
手術のお金は前述の上限があるので、法外な額にはならなかった。
それでも1回で上限に達したが。
ICUのベッド代は保険適用外で日々一万円だった。

ICUを出て、意識の戻らぬまま療養施設に転院した。
最初の入院から死去までの半年で医療費は100万円程度かかった。
一月20万円は払っていた記憶がある。

今回の返還では20万円程度戻ってきた。

病状や年齢によって差はあると思うが、目安として参考になれば。

当時支援頂いた皆さん、感謝します。
nice!(0)  コメント(0) 

高額医療費の還付 [父]

まだまだ続く父の手続き。
今度は高額医療費の返還手続き。

これがよく分からない。
父の入院費用は大きく差額ベット代などの保険非適用分と、保険適用される診療費に分かれる。

この内、診療費については月毎に上限額が設けられ、その額を越えても病院の窓口で支払うのは上限額まで。
その代わり還付はない。
父は後期高齢者保険証だったのでそのような仕組みになる。

後期高齢者保険証対象ではない、
もっと若い人が入院した場合には病院で診療費をそのまま払い、後日還付を受ける。

そんな理解だった。

しかし、どうやら父の場合も還付を受けられるらしい。
きっかけは障害者申請。
病院の薦めで父の障害者申請を進めていた。
手帳の交付を待たず父は他界した。
その後、手帳が交付され、
遡って医療費の還付が受けられる事になった。
障害者に認定されると医療費が免除になるのだ。
その手続きの際に役所の方に、
他にも高額医療費の還付が受けられる事を教えてもらった。

どういう話なのか理解できていないが、
損する話ではないので進めている。

しかし実家の役所の職員さんは、
応対がとてもいい。
色々と気を利かせて教えてくれる。
父が入院してから何度か助けられた。

感謝しています。

nice!(0)  コメント(0) 

父の労災申請 [父]

昨年末の事。
父が勤め先からの帰り道に躓いて転んだ。
顔面から流血する怪我を負った。
労災扱いになり保険会社とのやり取りが開始されていると聞いていた。

父の死後。
姉からそのやり取りが完了しておらず、
保険会社からその後の経過を尋ねる連絡があったと聞いた。
どうやら父からの必要書類提出待ちのようだ。

保険会社に迷惑をかけてはいけないと連絡した所、
相続人に対して保険金を支払うと言われた。

そこで、私が必要書類をそろえる事に。
幸い、父の勤め先に記入してもらう証明書は父が残してくれていた。
後は医師の診断書が必要。

病院は実家のすぐそば。
トボトボと訪ね、窓口で事情を説明し、診断書の作成を依頼。
ところが。。。
ここで父の受診料に未納分がある事が判明。。。

実は、この病院は父が死去する前に緊急で運び込まれた病院でもあったのです。
その時は、この病院では手に負えず、他の病院に回されたのだが。

未納分は私が払う事にした、8,000円位だった。
さらに。。。診断書の作成には5,000円必要との事。
診断書の作成費用は保険会社ではなく本人持ちなのだ。。。

この時点で、13,000円の出費。
確か、保険会社からは通院一日毎に8,000円支払うと言われていた。
病院の窓口では4日の通院と聞いていたので、32,000円が保険料として支払われる。
もらえる金額が下がるが、それでも二万円以上はもらえる。
まぁ、いいか。そんな心境だった。

二週間ほどして診断書が作成され取りに行った。
その後、速やかに保険会社に郵送。

そしてさっき、保険会社から電話があった。
資料等に不備はなく、処理が順調に進んでいるため来週には支払われるとの事。

しかし・・・。支払われるのは1日辺り2,000円との事。
つまり合計で8,000円だ。
何故8,000円ではないのか?を尋ねた所、
「最大4人まで払われる保険なので、4人の場合は8,000円になります。」
と言われた。
よく理解できなかったが、仕事の最中なので深くは質問しなかった。
労災だから、集団が対象なのだろうか?

病院で支払った受診料については遺族である私が支払う義務があるお金なので、仕方がないと思う。
支払われる保険金から、診断書の作成費用5,000円を引いても3,000円残るので、損はしていない。
しかし、最初に数万円ほど手に入ると思っていたため、落胆はある。

兎に角、また一つ手続きが終わった。

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。