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叔母の葬儀1 [父]

新年早々に叔母が亡くなりました。
私が喪主で葬儀を終えました。

叔母とは年に一回会う程度のお付き合いでした。
叔母は戦争で疎開を経験し、幼い兄妹を亡くした。
戦後も長女として、自分を犠牲にして残った兄妹の面倒をみていたそうです。
その兄妹が結婚して家を出ると、自分は結婚せず、祖父母の介護をし最後を看取った。
偉大な叔母でした。
ありがとう叔母さん。

喪主を務めるのはこれで二回目。
二回やっても慣れません。
同じような境遇になられた方の一助になればと、その顛末を記載します。

叔母は昨年末から入院していたのですが、1月2日の深夜に亡くなりました。
脳梗塞で入院して一月半で他界しました。
入院した時は会話も出来ていたのですが。
年末になり「そろそろ」か、という余丁はあったので心の準備は出来ていました。
正直、正月が終わってからにしてくれ、という勝手な気持ちはありました。
父に続き二回目の葬儀なので、特に困らないかと思っていましたが、いきなり困りました。
病院から、霊安室がないのですぐに遺体を搬送して欲しい、と言われたのです。
正月、しかもこんな深夜に葬儀屋は来てくれるのだろうか?
叔母が葬儀屋の会員に入っていたので、連絡先はわかっていた。
※これはとても助かる。
親族が亡くなってから、冷静に葬儀屋を選ぶ事はとても難しいだろうから。
それが決まっていれば遺族は電話するだけだ。
しかし葬儀屋の事務所に電話するも誰も出ない。留守番電話に切り替わり、緊急の電話番号を案内された。
今度はそこに電話、今度は繋がった。
状況を説明すると、1時間程度で迎えに来てくれる、との事。
助かった。
最初は病院の対応に無茶を感じたが、正月でも深夜でも葬儀屋は対応してくれるのだ。
ここまでのやり取り、実は私は自宅から電話で対応していた。
叔母は横浜で入院していて、
同居していた姉が当日も病院で対応してくれていた。
私は姉から電話で状況を聞いて、
自宅から葬儀屋に電話していたのだ。
父が亡くなった時も同じだった。
姉が病院で対応して、私は新幹線で実家に向かいながら葬儀屋に電話していた。
どちらの場合も現場にいたら慌てていて、葬儀屋の手配もままならなかったかもしれない。
実際、姉は大変だったと思う。
何にせよ、
明けて3日の午前1時に叔母はセレモニーホールに搬送された。
葬儀屋とは明朝から葬儀の打ち合わせをしましょう、と約束してこの日の対応は終わり。
葬儀の打ち合わせは対面しかありえない。
しかし3日はUターンのピークで新幹線は満席。。。。
悶々としながらもこの日は就寝。

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